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さよなら歌舞伎町 (2014)
2015 / 04 / 12 ( Sun )
歌舞伎町のラブホを舞台にして、諸々抱えてる男女(染谷将太×前田敦子、南果歩×松重豊、忍成修吾×我妻三輪子、イ・ウンウ×ロイ、 河井青葉×宮崎吐夢)がハメたりハメられたり、怒ったり泣いたり笑ったりして一夜がすぎてく群像劇。脚本は荒井晴彦と中野太、監督は量産体制にずーっといる廣木隆一。脱がなきゃはじまらないスジで、想像以上に女優陣が皆正々堂々と脱いでて、まずそこが成立してなんともならないようなーと、観てた。ちゃんと脱いでてエラい、とか比較としてそれどうなのっておもうけど・・・。本来なら主軸は染谷将太×前田敦子のカップルの筈なんだが、着衣の有無なくベッドシーンはおろかキスシーンすらない始末。だが、それに代わるのがイ・ウンウ演じるコリアンデリヘル嬢と、ロイ演じる新大久保でニヤけたツーショット撮ったり日本人のBBAと寝て小遣い稼ぎするコック見習。とくにイ・ウンウは、只狂おしく異常な、喋らない二役を演じてただけの『メビウス』とは異なり、表情豊かで快活によく喋り、生命力に溢れる若い女を瑞々しく十分エロティックに演じる(・・・見た目なんだか関根麻里みたいだなー。買う村上淳がちょっと裏山)。本作は群像劇故、さまざまな人間模様が時間経過と共に織りなされる。そのなかでの極一部とはいえ、でも日本が誇るロマンポルノ的担いをこの韓国人俳優のふたりに任せてしまうってのは、不甲斐なさすぎるのではないか。なぜ、この位置に日本人俳優の男女が配されないのか・・・あっちゃんはやはり脱げないのか・・・。はっきりいって、あっちゃんは添え物程度の十把一からげ扱いの一方で、イ・ウンウはキムチハンバーグと喰って泣き、川瀬陽太にシャブマンさせられそうになりながらも聖母マリアのように振舞い、ロイに身体を洗われて泣き、抱かれる。これが女優ってもんでしょ!!ぶっちゃけ『メビウス』でどうでもいい偽乳ちゃんだなーとおもってスルーしていた事を恥じ入るばかり。主軸二人に焦点戻すと、前田の、取り扱いの面でのアイドル的聖性は、まあまあどうでもよく、本作で彼女の役柄はデビュー間近の3ピースバンドの一員で、まあ染谷に140万貸す程度には懐でかいナオン。おなじく染谷はグランパシフィックLeDaibaではなく、歌舞伎町のラブホテルアトラスの店長(体のいい雑用)に納まる身の上。染谷のかわいそうな所は、妹ちゃんがAV嬢で(樋井明日香。見事に脱いでおりエラい)、あっちゃん演じる彼女がソロデビューをニンジンに枕営業してるっていう知りたくなかった現実を一日の中で知るだけではなく、結果として東京を、歌舞伎町をその日一日で追われてしまう、タイトルの意味性の一切を背負わされてしまう点にある。つか、ソロデビューをニンジンに枕って、昨今の芸能界とかグラビア界とか邦画界とか棋界とかAKS界隈ではザラで、日常茶飯で、空気のようなものなんでしょうけど、これが80年代OVAなら、『メガゾーン23』なら、染谷は大森南朋を軍用バイク・ガーランドで轢き殺してるんだろうなーと。そういう意味では80年代のほうが精神衛生的には真っ当だったのではないか、などとかんじてしまう。そんななか、河井青葉×宮崎吐夢のプリンポリスカップルは本作でも図抜けて異常。ねっとり濃密なFUCKと(河合青葉の噎せ返るようなクッソエロさ)、果てたのちの名推理具合はどうかんがえても異常。ここだけは何度でも見返したい。

さよなら歌舞伎町(2014)

(ムービーオンやまがたシアター9)
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薄氷の殺人 (2014)
2015 / 04 / 11 ( Sat )
音と云えば雪の上で踏みしめられる足音と吐く白い息(中盤以降劇伴が鳴る)。あきらかに怪しい包まれ方した物体、トランプとなし崩しFUCK(伴う入線間近のホームでの見苦しい"終った"男女)、床屋での唐突かつ驚きの撃ちあい(ちょっと凄い)、アパート一階に唐突な馬、消火訓練のショット、切り身のようなひとの断片、バイク、野外スケート場、スケート靴、ダンスホール。そして、おそろしくはかなげで、さびしげで、うつくしい女(グイ・ルンメイ)。ダメ押しの花火・・・。これらはすべてショックシーン、ショッカーだ(あざといではなく、つくりがおかしい)。英語題は、"BLACK COAL, THIN ICE"。それを解体してマーダーくっ付けたのが邦題。なんだけど、これ"白昼の花火"てタイトルでも、最終結末まで云い含めればアリなのかなーと(サラリとしたネタバレ)。

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ヘウォンの恋愛日記 (2013)
2015 / 04 / 05 ( Sun )
ホン・サンスの作品はこれで三本目になるわけだが、本作が一番へヴィだった・・・というか、彼女に「たぶん(変則で地味目な)恋愛コメディだから」と云いくるめて一緒に観にいったのだが、連れてきたおれが観ながらアタマ抱える始末(んまあ観終えて、おもしろいおもしろいとは云ってましたが)。おれはあの、焼肉屋で学生らとヘウォン、イ監督が居並んだテーブルショットで目が冴えた。ああいうシーンは大好物。とはいえ、三本観たからって、これでホン・サンスの主題なり手法なりが語れるわけではないけれど、でもこの作品も、えらく風変わり(と、恋愛映画を観慣れないひとの意見)。大学生ヘウォン(チョン・ウンチェ。かわいい)は英語がしゃべれて聡明で、いつも正直で嘘がつけず、なにより可愛らしい。そのうえ居睡が大すきで、そのはざまに恋愛を積み重ねる。彼女の周りの男性陣は、バイトで大学教授やってるイ監督(イ・ソンギュン。先日観た『ソニはご機嫌ななめ』では一応学生(院生)だったのに・・・)を筆頭に皆ヘウォンが大すき。彼女はある意味魔性の女的役回りなのだが、周囲の男が勝手に翻弄し、ヘウォンもそんなに頭がよくなく、依存体質的なトコがあるもんで、わりかしどうでもいい男にズルズルベッタリしてしまう。女も男も、なんにせよだらしがなく、でも本当にどうしようもないのは男のほうだよなあ(イ監督も、キム・ウィソン演じるアメリカ在住の教授も、どちらもきもちわるい・・・とは、一緒に鑑賞した彼女の弁)。というか、若い女に溺れる男って、ホン・サンス自身のメタファーなんすかねー。だいたいにして、どこからどこまでが真実で、どこまでがうたたねで、どこまでがヘウォンの望む願望で叶わない希望なのか。どれもが、執拗なるBGM(Beethoven Symphony No.7 2.)の、手持ちテレコから鳴るリピートでイメージごと(あの、図書室のうたたねシーンと共に)雲散していく。家族持ちのインテリ映画監督と無垢でずるいんだか分からないが、とにかく若く可愛らしいJDとのプリン関係。シャミスルゴクゴクや煙草プカプカ、強迫的な欧米文化圏へのあこがれ(英語を介す主人公や登場人物)などなど、ネタは何度でも繰り返す。ヘウォンが最後のシーンで呟いた"素敵なおじさん"、おれはあの緑色の服装で気前よくマッコリ二杯も呑ませてくれたあのおじさんだとおもってます。

ヘウォンの恋愛日記(2013)

(ムービーオンやまがたシアター10)
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ソニはご機嫌ななめ (2013)
2015 / 04 / 05 ( Sun )
ソニっていう、かわいらしく、特徴は云々ある(勇敢だとか、内に秘めた・・・とか)女子大生(チョン・ユミ。北川景子似なきが)がいまして、彼女は単にアメリカに留学して勉強したいだけなのに、周囲のざっくり三世代にわかれる男たち(元カレで院生で映画を借金して一本撮ったイ・ソンギュン、女の武器チラつかせられて推薦状を二度書く大学教授キム・サンジュン、スランプの映画監督チョン・ジェヨン)が勝手に翻弄される。まず、ソニのまっすく感がすばらしい。嘘ついた先輩にもむかつくし、適当云って推薦状を三〇分で書いてしまう指導教官たる大学教授もクズだ。さらには、ただビールが呑みたいだけなのに、チキンまで頼めというフランチャイズ風情のバイト女もむかつく。かように、ソニのいらつきは一本筋が通っている。そのタイミングで元カレのイ・ソンギュンとひさびさに再会し、なぜか二人して痛飲してしまう。・・・。

こっから、何本のチャミスルと(あっちの焼酎は、なんかわるいクスリでも混入されているのか)、何本のタバコが、消えて、灰になったろう。テーブルが、何度映ったろう。こっから、本作はおかしくなっていく。立場を替え、台詞や言い回し(目上目下の関係があるので)を替え、そして重要なことは「今度話す」。くりかえし、リピート、変奏。おなじ目に、誰もが、何度でも。お互いの台詞が入れ替わり、前言が撤回される。時間と共に。「行くところがあるの」。窓の外から、内から、ひとの名を呼んで、呼びかけ、呼びつける。アリラン、太陽、ゴンドリー・・・そして刻みつけられるズームアップ。ある意味滑稽な"しりとり"か精緻だが気の毒なパズルかのよう。基本、トイレタイムで(本作の前に観た奔放なタイムラインが魅力だった『自由が丘で』同様)、修羅場の句読点が打たれる。つか、スタート/ストップがなされる(否、回避ポイントか)。ホン・サンス、やばいなあ・・・。英語題"OUR SUNHI"ってピッタリな題ですね。

ソニはご機嫌ななめ(2013)

(3月28日、ムービーオンやまがたシアター10)
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自由が丘で (2014)
2015 / 03 / 29 ( Sun )
ホン・サンスを観るのははじめて。なので正直面喰らって観たっつーか。加瀬亮が、どうもひとを追って韓国に来ているらしい。ゲストハウスに泊まって、滞在しながら、ひと探しというよりひと待ち、そのなかで"JIUGAOKA8丁目"なるカフェの女店主(ムン・ソリ)やゲストハウスの居候の男(キム・ウィソン)やら、そういう周囲のひと等との出会いふれあいのなか、吉田健一『時間(講談社文芸文庫版)』を片手に煙草を終始ふかし、ワインで顔を赤くする(本当に呑んでいるようにしか見えない感)。あくまで加瀬演じるモリは、日本人でその場の人間ではない時間制限つきの異邦人でありつづけ、英語で(モノローグも)語りつづける。「犬は見つけられるのに」。「彼女に会いたいんだよ」。「なぜかいくらでも眠れるので」・・・。大枠ではひと探し、どんなひとかわからないけれど、とてもすてきな彼女に再会したい再会したい・・・っていう加瀬の姿と、瞬間瞬間で当の彼女の姿が合わせ鏡のように均衡している・・・いやしていないんだけど、要はひと探しの話しの筈。だがしかし!片手に持つ書物表題同様、見事に時制をバラバラにして、ほとんど抑揚のついていないシーンをタイムライン上でズタズタにして、流麗といってもいいような繋ぎ合わせを仕掛けている(むろん時間経過してるので、前後では何らかがあったことを仄めかす)。北野武にちかい資質の編集芸だとおもうんだが、こういう地味なお話しでタイムラインいじくりまわした映画ってあったっけかなあ・・・出会えないひと尋ねびと、なんて話しはなんつか『シルビアのいる街で』を連想したりして(なぜかタイトルも似ているふう)。とはいえ、突如ゲストハウサー同士が大声で罵りあったり、カフェの女をうまいことハメちゃったり(部屋にはギヨン『下女』のDVDが。こういうのが彼の地のサブカル女子の部屋なのか)、んまあ、一筋縄でいかないかんじ。デジタルカメラの奔放なズームを多用してて、とってもおもしろかった(我ながらヘンな感想。こういう単館系観るのひさびさだからかなあ)。

自由が丘で(2014)

(28日、ムービーオンやまがたシアター9)
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映画 暗殺教室 (2015)
2015 / 03 / 29 ( Sun )
本作の監督羽住英一郎っておれ『おっぱいバレー』くらいしか観てないし、原作もアニメも見てないけど、その設定の持つ斬新を超えた異様さ加減、さらに作者松井優征がデザイナー佐藤オオキと対談してる番組(Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」)見て、なんだかずーっときになってたんで、んま、利府で時間つぶしの必要が出てしまい拝見した。バトロワ以降の倫理観の喪われた学園ドラマとおもいきや(いやそのとおりなんだけど)、まずはひたすらに殺せんせーの教育者としての矜持、プロ意識に感銘を覚え、慄いた。フィクションなんで暗殺する側される側という下地があるものの、『ROOKIES』の変種亜種を想わせる情熱ぶりなど(観てないけど)、)、あっちゅうまに金八クラスのわゆる学園物の型破り教師を一気に更新し、さらには尾木ママやピケティ、夜回り先生といった実在の教育者をも凌駕した存在として殺せんせーの姿が立ちのぼる・・・。速攻でビリギャル的エッセンスもぶっこまれ、あたかも3-E白熱教室の様相を呈す。とはいえ、タイトルに暗殺なんつ、物騒なワードが織りこまれている都合上、殺せんせーの人たらし、生徒たらしぶりもまた見事だ。画的にもひじょうに満足で、管制室含めた冒頭のハイロー~急襲シーンもわるくないし、テンポ感あるスプリットスクリーンも小気味よい。VFXスーパーバイザーはNICE+DAYのオダイッセイ(小田一生)。・・・もう映画撮らんのでしょうか?菅田将暉もよかったが、殺せんせーのヴォイスキャストにはおどろきました。んも、誰か実力派のプロパー声優がやってんだろうなーと、本当におもってた。むろんビッチ先生役の知英も、なんか安っぽくてセクシーでよかったなあ。現場で高嶋政伸となんかお話しなんかしたのかしら(べつに他意はありません)。

映画 暗殺教室(2015)

(MOVIX利府シアター5)
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アメリカン・スナイパー (2014)
2015 / 03 / 20 ( Fri )
予告で使用されているスナイプシーンが、二度出る。これって主人公(ブラッドリー・クーパー)の転機としてなんだろうな・・・と。正直あまり、よい映画にはかんじられないのは、おれの感度が低すぎるためなのでしょうか。あまりにもトム・スターンによるキャメラにしろ作劇ぐあいにしろ、低温すぎるというか、イーストウッドはここ数年そうなんだろうけど、地味に丹念に人間を追っているようで、追えてないというか、負う努力を放棄しているかにおもえる(『ジャージー・ボーイズ』みたいな内容だと熱っぽくしないことで功奏するんだろうけど)。そして出来事もねえ・・・各シーン上手すぎるくらい上手いんだけど(ならいいじゃん・・・ってきも)、上っ面は見事なんだけど、念みたいなのがあんまりこもっていないような。そんな無駄なエネルギー過剰さなんてイーストウッドは注ぎたくないのかもしれないけれど。オチに言及するのはどうかとおもうが、これ2014年に完成させているわけだ。作品完成の直前ともいえる2013年主人公の死をもって見事にオチが点けられている・・・。むしろ、主人公はああやって亡くならなければ落ちない完成されたつくりで、突貫でつくったのか製作準備中にあの不幸が起こったのか、よくわからない。それと、あまりに愛国主義的な作り、そして他国への世界警察的派兵従軍で精神が病む米兵っていう、ずっと現在進行形だからというにはあまりに定型な軍人像も、なんだかなあ・・・とやや閉口(異常な情況で異常なマネを、さも真っ当なこととしてやらされて、まともな精神に恢復するのに、時間がかかるのはわかりますが)。更に云えば、スナイパーVSスナイパーな展開が盛り上がるようで盛り上がらない、醒めているというよりはずーっと冷えているかんじ。スピルバーグ以降のモダンな着弾だが、フェティッシュさは皆無。あのー、砂嵐がもわもわと湧き出して一瞬で砂塵の中になるあたりはよかったなあ。

アメリカン・スナイパー(2014)

(15日、イオンシネマ天童シアター1)
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