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ビフォア・ミッドナイト (2013)
2014 / 02 / 24 ( Mon )
一作目はいまにしておもえばほぼファンタジーで、ほろ苦さただよう二作目は、まさかの続編!?ってその成立そのものが既にファンタジーとおもえた(まずは)。ばったり再会したジェシーとセリーヌの(そして、イーサン・ホークとジュリー・デルピーの)、無遠慮ななかにも愛溢れる本音たっぷりのトークが延々と炸裂し、たのしく甘いだけではない恋愛のいくつもの断面が切り取られて装われた。それでもおれ、二作目すっごいすきで・・・ダブルパックのDVDも予約して買ったくらいだったんだけど・・・本作はさらに9年後!!いやーイーサン・ホーク&ジュリー・デルピーも、おっさんおばさんになるわなー(あと、おれも)。リンクレイターによる本作も、例によってお馴染みのふたり、トコトン話しまくる。のっけ空港での父子の別離から、あれ、ふたり一緒じゃん!って。以後、クルマの中、皆での食事、ホテルへの道すがら、ホテル室内、そして・・・とばかりに延々ジェシーとセリーヌのしゃべり場が続く。これがもうね・・・このやりとり、この間、テンポとタイミング、丁々発止の妙味。最高だわ。「でも、お互いの道が交差してゆく」。他愛なく何気ないやり取りが、男女の間柄の本質というか深遠というか、愛や恋についての様々な相貌や段階が発話と表情によって語られ、ヤバい角度とか、触れちゃイカン深い深い奥底トコまでタッチして(無常観や死生観とか)、いそいでまた浅瀬まで戻ってくるような、そんなことがしばしば繰り返されていく。ジェシーの祖母が亡くなったことをきっかけに、いまから56年後の話しに。そのときふたりはどうなってる?・・・現実の由無し事、息子のためにシカゴに行きたい男、そんなことのためにじぶんの人生台無しにされたくないと拒絶する女。ここまでは水が枯れたり、ないし廻りに被害もたらすほど水があふれ出たりはしなかった。まるで決まりきったローテーションのごとく、仲よくなって、ケンカして、なぐさめあって、また仲よくなって、みたいなことには、都合よくはならない。ホテルの一室、セリーヌは三遍扉から出てゆく。決定的な捨て台詞のあと、室内に彼女の姿はない(あたり前だ)。ラストはもうね、唸るわ。オチとしてそうだろとおもうけど、女、スゲーわ!結局、バカなのは男。女の手のひらの上で踊っている。プールサイドでどっちも退路断ってしまって、ふたりとも「しまった!」の表情。女、偉れーわ!キャメラ、さーっとひいていく・・・もうね、50歳になってもやってください。リチャード・リンクレイターくっそやばい!・・・ジジイになっても、約束だから、かならず観にいくから。

ビフォア・ミッドナイト(2013)

(2月24日、フォーラム1)
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キック・アス/ジャスティス・フォーエバー (2013)
2014 / 02 / 23 ( Sun )
こちらが危惧していたとおりの、血は血でしか贖えない復讐の様が、無遠慮で際限のない負の連鎖が、浮ついたユーモアとゆがんだシリアスさの奇妙なバランスで描かれる。いや、前作もそうだったし、原作だってそもそもそうだった。これがジェームズ・ガン『スーパー!』であれば、巻き起こる全てはミドルクライシス迎えた主人公の与太話し、狂気で片付くし、だいたい『スーパー!』ってジェームズ・ガンのわりには割合ハートウォーミングかも!?って奇妙な評価に繋がるようなきがする。だけど、キワい均衡の上に成り立ってた前作がかわいらしくみえるほど、本作には暴力がたちどころに偏在してしまうのであった―。以下、ネタバレあり。

キック・アス/ジャスティス・フォーエバー(2013)
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エージェント:ライアン (2014)
2014 / 02 / 22 ( Sat )
冒頭の7、8分欠けて着席。クリス・パインが松葉杖ついて痛み止めもらおうとしている脇で、キーラ・ナイトレイ(こういうメジャー感ある映画で観るの久々)が飴と鞭使いわけてリハビリに専念させようとしているトコから観はじめた。勇み足ながらさっさとケヴィン・コスナーも高い所から登場。きっと、直前にデカいドンパチがあったんだろうな・・・それ観たかったな・・・とちょっと残念におもう。これまでの"ジャック・ライアン"シリーズから一気に若返って、『学生 島耕作』みたいなアマチュアぶりまで巻き戻してスタート、と云いながらスマホやUSBメモリスティックが登場するなどシリーズ過去作を過去のものとしながら、同時にCIAに対する敵側といえばテロを画策する露助というオールドスクールなキャラ造形を試みている・・・結果からすると、なんだか昨日観た『セブン・サイコパス』同様、「古くてなつかしくて、あまりあたらしくはない」スパイ映画と化している。いや、『セブン~』はそれでもおもしろかったんだけど、本作はなんともいえないムード。おれ、ソチ五輪とか見てないしな~。正直とてもリブート007シリーズに伍する仕上がりにはなっていないし、呑み屋で滔々と年下の女口説くケネス・ブラナーの小物感にもうんざりした。

エージェント:ライアン(2014)

(ソラリス3にて)
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セブン・サイコパス (2012)
2014 / 02 / 21 ( Fri )
チャンタケ映画を眺めながら、ヒトの彼女をクソアマ呼ばわりして、相当ダメそうな映画の脚本のアイディアを延々と練る・・・これ、当たりの映画なのではなかろうか。タイトルまんま、7人のサイコパスが紹介され、同名映画の脚本執筆に悩む眉毛がハの字コリン・ファレルとチャラすぎて眩暈のする悪友サム・ロックウェルの前に次々と現れる(えらく豪華な配役。あの十把一からげなブロンドがアビー・コーニッシュとか!しわを伸ばしたキャサリン・ゼタ=ジョーンズみたいなあのブルネットがオルガ・キュリレンコとか!しかもキュリレンコ脱いでないのにコーニッシュのほうは濡れTeeまで披露!クソアマまじ僥倖)。途中までは正直こりん星とサムの役柄って逆なんじゃないかな~とか、いまどきこんな半端に古びた犯罪コメディ映画ってないよな~って。いや本当・・・なんだろう、このなつかしさ、既視感。タラ以降、90年代半ばから、00年代さきっちょまで延々量産されていたアッパー/ライト/コメディ要素を噛ませた変則クライムムービーの(そう、ダグ・リーマンや石井克人やカーク・ウォン、ガイ・リッチー、マシュー・ボーン、ジョー・カーナハンとかの諸作をどうしても想起)、今日的ですらない造作・・・時制ジャンプさせたりガタついたキャメラや頻繁なカット割などはないものの(あ、ドンデンは有ります)。いまこのあたりのテイスト一周まわって、アリなんじゃ?ダフトパンクのグラミーでの演奏をおもわせる様で・・・てなかんじなのでは。おれ自身は相当満足させてもらった。キャワイイいたずらやらフトした弾みの軽犯罪から、重犯罪や凶悪犯罪や異常心理による犯罪までサイコさんの手を変え品を変えが目白押し。サム・ロックウェル演じるビリーの魅力にガンガン引っ張られる(クレジット流れながらのラスト、根本敬化してしまうこりん星もよかったが)。この邦題でもいいけど、いっそ『サイコパス選手権』、『サイコパス総選挙』、『サイコパスvsサイコパス』なんかでもよかったのでは(よくはない)。

セブン・サイコパス(2012)

(フォーラム2にて)
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オンリー・ゴッド (2013)
2014 / 02 / 18 ( Tue )
終始、不案内で説明過多な昨今フィクションの段取りを小ばかにしているようなレフン節、そんな清さがある・・が、後述するかもだが北野武の諸作に通じるロウブロウな不案内さなので面倒なことは素通りしてもよい、そこには一貫性がある。ムエタイの地下シーンから開巻、ライアン・ゴズリングとアニキのやってる賭場から展開、その直後不在のまま存在感だけは(劇中のセリフで)ありありと居続けるアニキのオイタ(娼館で14歳くらいのビャッチを所望するもむげに断られ、あげく娼館の娘をピックして惨殺)に端発する事件がころころと転がり、ぎらぎらとネオンと夜の粘り気が横溢しながら、異国の夜を舞台に悪化してくスマホの写真アプリで弄り倒したようなあほみたいな色味・・・ルックで展開するストーリー。けっして難解な内容ではなく、低偏差値(しかし、『ドライヴ』がいかにエンタメだったのかということをまざまざと示すものの、はるかにこっちのほうがアタマわるい感)。おれ、個人的なトラブルをひとり考えながら眺めていたせいか、娼婦のマスタベに呼応する腕ブッタ切りのあたり(タイミングで女果てる件)、なんなんだろう・・・とおもった。その直後、さらに数度繰り返されるマフィア親父のカラオケは、その素朴さと本人の纏う残虐性も相まって、『殺人という行為(アクト・オブ・キリング)』の主人公アンワルをどうしても想起。ゴズリングをけしかける(本作のゴズリングは基本的に棒)母親の存在もあやしい。ゴズより長兄のペニ棒のほうがデカかった、とかまじどうでもいい話しを延々と。異様に研ぎ澄まされた強迫観念が織りなす恐怖と緊張感がまあまあ心地いい。カラオケマフィア親父の裏も表もない実在感だけのキャラクターから、たとえばよそ者が幅利かせてクズ白人が偉そうに地元で好き勝手やってんじゃねーよ・・・っていう、反グローバリゼーション、反TPP的なメッセージ性が嗅ぎ取れないでもない。しかし、クリス・マルティネスの亡羊で覇気のないローテーションミュージックが鳴り響き、ゴズリングの涅槃をアンワルと取り巻きのポリスが後景で描かれると、ああ、このニコラス・ウィンディング・レフンという監督は、写真週刊誌強襲時のチャンタケなみにトコトン死にたがってるだなーと、そう素直におもった。

オンリー・ゴッド(2013)

(15日、ヒューマントラストシネマ渋谷 劇場3にて)
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ハンナ・アーレント (2012)
2014 / 02 / 08 ( Sat )
のっけからプカプカと煙草をふかす主人公アーレント(バルバラ・スコヴァ)。この喫煙シーンの執拗さに限り、映画芸術誌上で執拗に批判しつつ対比?させてた宮崎『風たちぬ』とおんなじ。ハイデッカーの愛弟子だとか、その密なる関係だとか、アイヒマンなる人物だとか、モサドに見つかってエルサレムで裁判とか、面食らいつつも、アイヒマンのイスラエルでの裁判傍聴記を書く事になる主人公が現地飛んで、アイヒマンを評し「ガラスケースの幽霊みたい。風邪ひきの」・・・と称するあたりからようやく焦点が合いはじめる。

アイヒマン、ようするに立派で有能だがどこまでいっても平凡そのものの役人でしかないとアーレントは看破。人間を無用の存在にしてしまう強制収容所において、根源悪ではなく利己心でもなく、ひたすら凡庸な役人仕事をコツコツ取組むアイヒマンのような連中によってモラルの崩壊、結果過去に例のない大惨事を引き起こしている。さらにはナチが「悪の凡庸さ」を大戦後欧州に蔓延させてしまった。

この考え方は当時と異なり、いまは(とくにこの日本においては)相当伝わりやすくおもう。全世界で現在進行形で、敷衍している・・・とすれば、当時は相当デリケートすぎた問題/主張なのだろう。"ぷらっとほーむ"さんによる、上映後の非常にわかりやすい解説にもあったが、全体主義の成立過程で絶対的な悪が発生するとの主張は、当時の世評や建国間もないイスラエル国民には到底受け入れられることはないのであった・・・みたいなオチなんだが、合間にアーレントと旦那さんのラブラブな生活、まるで理解されないで受ける批判、罵詈雑言(そういや『私はロランス』でも教職を追われるシーンあったなー)。さらに思索のたび学生の頃のハイデカーとの想いでに立ち返る。

んま、だいたい、全編にわたって煙草くゆらせているんだけどアーレントさん。・・・たしかに、テーマそのものの深みから、つくりの巧みさから、重厚さと軽やかさの絶妙なバランス感覚や脇に至るまでの役者まで、何から何まで『風たちぬ』とはちがいすぎる・・・だが、どっちが高級とか低級とか、是非の比較はこの際必要ないとおもうんだ(というか、託けるなら『戦争と一人の女』でやってみたら?)。アーレントの旦那さんが、本を手にとってページを開いた瞬間、動転というか目を押さえてぶっ倒れるシーン、異様におっかなかった。ここだけ心霊実話みたいだったので・・・。

ハンナ・アーレント

(2月8日、フォーラム3)
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エンダーのゲーム (2013)
2014 / 02 / 08 ( Sat )
宇宙を舞台とした戦火に放り込まれる選ばれし少年少女、迫りくる人類への脅威、どんづまりで待ったなし、一刻争う大情況。・・・それって、なんだかとっても、日本のSFアニメなかんじ。地上でのセレクション経て(正直冒頭、遅れちゃって欠けて観はじめたんで、サードとか永島敏行とかかな?フォーミックってなんだろな?てなところはいまだにある)、ガキンチョ達が地上離れて、あたかも『スターシップ・トゥルーパーズ』的になる(これ、ヴァーホーヴェンが撮ったら、男女別のシャワーションはどう処理するのだろうか)。

そもそも主人公エンダー(エイサ・バターフィールド君)はえらく期待されてて、地球を救う少年として勝手に位置づけされている。なんとも日本のアニメ的なのだが、このあたりの延々展開される宇宙での訓練より、エンダーのチーム、前線を率いる指揮官としての資質を問われる筋立てとなる。これって・・・なんだか滅茶苦茶リーダーシップ論の映画になってしまってないかい?・・・尋常でなくオモロくなるコーチングとか、チームワークとか、リーダーシップとかみたいな。要は、プレジデントとか東洋経済とか無理して読んでそうな若手中間管理職がすきそうなかんじ。

ゴンソーとのやり取り、さらに急造の愚連隊ドラゴン隊率いて、サラマンダー隊とレパード隊混成班をエンダー打ち負かすあたりからテンションが急上昇!シャワーシーンでのエンダーの素朴な無双感&機転ぶり故のすっごい結果に容赦ナシの展開にさらに興奮。再三繰り返して申し訳ないが、日本SFアニメの典型的キャラ造形である戦闘忌避もきっちり描かれ(字幕で観たんだが吹替版、ハリソン・フォードの声って立木文彦さんあたりのキャスティングなんでしょうか??)、予期せぬ里帰り、さらにアビゲイル・ブレスリン(!)演じるお姉ちゃんとのボートデート!でエンダーの異性への複雑な想い&重度のシスコンぶりを想像するにこちらもクラクラくる。そして地球一時帰還後の容赦ない急展開にもクラクラ。マオリ族の墨を顔面に入れまくるベン・キングズレーの無作為な仕事ぶりもいいが、演習かとおもいきや大人の都合で仕組まれた大決戦、血戦。

「勝ち方が問題なんだ」。と本気で主張するエンダー。最終最後はマジ蛇足なきがする。だが、ヴァーホーヴェンのそれはバグズとの切れ目ない絶え間ない争いを匂わせる下種な仕舞いだったが、本作は敵方とのおなじく精神交信しつつの妙に明るい未来を予見させてくれた。これ、なんだかよかった。監督は『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』ギャヴィン・フッド。劇伴はスティーヴ・ジャブロンスキー、VFXはデジタル・ドメイン、鳴ってる既成曲はフレイミング・リップスとか、とか。そして・・・宇宙空間でのヒロインたる大切なエンダーの相方ペトラちゃん(演じるは、『トゥルー・グリット』で片輪になってもがんばってたヘイリー・スタインフェルドちゃん!)が、ピークタイムの蒼井憂ちゃんみたい(黒髪長髪&一筆書きの如き太眉毛、しかも強くやさしい)で辛抱たまらない。

エンダーのゲーム(2013)

(2月8日、フォーラム1)
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Believe the Magic
2014 / 02 / 04 ( Tue )
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ブリングリング (2013)
2014 / 02 / 02 ( Sun )
ソフィア・コッポラが実録激安犯罪モノに手を染める・・・でも実在した、最近までゴトやってたセレブ専門ティーン窃盗団を描くってあたりは、なんだかソフィアふうなきがします。だって、いっくらでもガーリーにできるでしょ。技法的に&キャリア的に。でも本作は案外、過剰にギラッギラにファッショナブルにしたりはしていない。掘る先がパリス・ヒルトンとかリンジー・ローハンとか進行形(かつてだが)のセレブだから、どうかんがえても勝手に盛り上がってしまう。狂言回し的な主人公?の男(イズラエル・ブルサード)はキモい転校生なんだが、三流校に通学した初日にレクサス乗りまわす東洋的な顔立ちのビャッチ(ケイティ・チャン、だっけ)に拾われる。この、運命的な出会い。つか、新入りが、なんでBMやらレクサス乗りまわすクソアマといきなり知り合うのよ?んまー、皆並べてかわええドロボウ猫ちゃん達なんだが・・・。

車上荒らしやパリス・ヒルトン宅を筆頭にガンガン家宅侵入していく一行。しかし、やっぱり不用心はダメだとおもうんだ!ホント、どっか勝手口が開いているLAの住宅事情に唖然としつつ(だってトウホグのクソ田舎でも最近が施錠しますぜ?)、ブランド名が発せられながらとても実用に耐えないキラキラグッズをかっぱぐ連中の活躍にハラハラしつつ、真剣にホームセキュリティの重要性が観客全員に問われていく。ギャル窃盗団のなかでも、やっぱ別格的にエマ・ワトソンかわええな・・・。だいたいバイオツでかいし、目線も表情も発言もいちいちセクシーだし。なもので、撮っててたのしい&うつくしいもんだから、どうしてもレベッカ役のコでなく絵馬ちゃんにキャメラが向いてしまってる。ガンガン不法侵入して、漁って、FBにあぷしてダチにも言い触らして転売したり、ほんでもって監視カメラで身バレしそうになってもなお・・・ブリングリングは押し入りつづける・・・。セレブとの自己同一化に近い、信仰にも似た感覚(それって佐川君とかミヤザキパイセンなんかと同様の感覚では)。

唯一の(で、狂言回しでもある)男の子に寄り添ったつくり。なんかカレはイイコに描かれる、性のにおいがしないかんじはなかなかよいのではないか。鳴り響くプラスティックマン(ロコモーション)、CAN(ハレルヤ)。ミーガン・フォックスんちのベッドの下にあったハンドガン弄んでフザけるシーンが本当におそろしかった。

ブリングリング(2013)

(2月8日、フォーラム1)
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