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パンダコパンダ (1972) & パンダコパンダ 雨ふりサーカス (1973) ※リバイバル上映
2008 / 08 / 23 ( Sat )
DVDのファーストリリース時に当然のように購入しており、そんとき観て、なんつうか、言葉にならないモヤモヤとしたものがあったのだが(性的不満ではない)、今回スクリーンで観る機会が得られて判ったことが沢山あった。本作は、原案と脚本と場面設計は宮崎駿で、演出は高畑勲という黄金コンビ(以降、このコンビでテレビシリーズ中心に歴史に残る傑作を連発)。

パンダコパンダ
筋立ては童話ですよね。赤毛のミミ子(CV:杉山佳寿子)つう自覚のない露出幼女が、留守宅に迷いこんだパパンダ(CV:熊倉一雄)とパン(CV:太田淑子)を囲って共同生活を始めるのだが…っていう話し。続編では、サーカスから逃げ出した新キャラのトラちゃんも登場。かわいいがいっぱい。うれしいたのしいがいっぱい。

冒頭での、DVD鑑賞時に以前かんじたモヤモヤはですね、要は、駿の快楽原則というか、生理欲求に則って編まれたお話しが、高畑の理知的で冷酷な演出に乗っかったときに生じた違和感だったのだと、当時はおもった。けどちがうのね。おそらく、おれが誤解してただけで、怪作『崖の上のポニョ』を経て本作を観れば落着する。これはどう考えても駿の趣味性炸裂のフィルムです。おそらく制御不能に陥らないよう高畑が手綱引っぱったのではないか?…と勝手に邪推する。

でね、作品の素晴らしさ…たとえばオープニングのグラフィカルなたのしさや、小田部&大塚のアニメートの純粋快楽っぷりや、特に「雨ふりサーカス」での水没したミミちゃんち周辺の美術の美しさ(小林七郎が担当。スタッフには男鹿和雄も)だとか、語るべきは多い。また、よく云われるジブリ以降の宮崎アニメへの原初的風景を垣間見て取れる点も多い。両親の不在と独力で生活する少女や、作話的な構成や意匠など。無論『となりのトトロ』のみならず、もうすでに多く語られているが『ポニョ』への遠因(特に「雨ふりサーカス」。主人公の年恰好、ふたりの母親、生活圏が水没する、などなど)についても興味深い…。でもさ、そんなんどーだっていいんだよ。てめーら勝手に語ってろよ。論じてろよ。ついでに云うけど、黙っとけよ。

問題は、この健康的なエロさって、いったいなんなわけ?どういうこと?通報されないのけ?あのー、いまやってる北京五輪でさ、年端も行かない健康な女子の、あんな薄着の運動風景とか、サテライトで、ライヴで、ハイヴィジョンで、リバース&プレイバックされて全世界じゅうの暇人が見てるけどさ。あれって通報されないのけ?(こわいのでおれなんかは余り見ないようにしている)…と、そんな五輪と同義の社会的認知がある、そして許容され承認され祝福されている"世界の宮崎駿"のインナーワールドに浸からせてもらった。どっぷり肩まで。そこにあるのは理詰めの展開ではない。そこに竹やぶがあったから、とか、そこに汽車があったから、とか、赤毛の幼女だったから、とか、マグマの如き3コードの衝動がギンギンにみなぎっている。

パンダコパンダ

(21日、フォーラム5にて)
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