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トウキョウソナタ (2008) (2回目)
2008 / 11 / 23 ( Sun )
週末(だった)。封切り日なので、いくつかの新作が番線に並ぶ、のだが、なんだかすべて億劫なかんじがした。観たくないわけではないが、だがいまおれを取りまくこの倦怠の正体は、数日前に観た『トウキョウソナタ』の反応によるものだということがはっきりと理解できてしまっているので、ならばもう一度、とおもい観た。1回目でわかったようなきでいた。すくなくともある程度、わかっている。けれど、もう一度観てみて、全身をさーっと覆った濃霧に漬かっているような晴れないかんじは、さらに晴れがたい強固なものになった。

トウキョウソナタ
字面的に、画面内で起こっていることは充分わかる。意図していることも…たとえば今回も車輌の選択に意識的なものをかんじる。最初は日産のモデルルームで小泉今日子の前にマイクラC+Cを出し、その後小泉と役所広司との逃避行にプジョー207CCが使われる…ジャスコのような大型郊外商業施設に向かう…。相変わらずその審美感覚とスクリーンプロセスを用いた運転シーンが見事で、とか(黒沢清の作中に登場するクルマの類を、誰か系統立てて論評していないのかなあ?)。また陽光(模した照明)やカーテン、落ち葉新聞広告や髪を揺らす微かな風や威す風、非現実的タイミングで音とシンクロせずに明滅する光などなどの要素と、それらをうまく画面上にかき集めてくキャメラの動きもすばらしい。…ああ、レミングの群れのような炊き出しに集う人々の動きや、唐突な階段落ち、ワンボックスカーによるショック表現…技法的にも黒沢映画の集大成的なものをかんじる。だがこれはまだまだ表層というか、単なる黒沢清の美的水準である。

小泉今日子の云っている、その言動の意味がよくわからない。それよりも津田寛治の滑稽というにはあまりにもやりきれない振るまいと、そのオチ。そして元次官殺害テロ犯のように登場する役所広司の過剰さ、切羽詰った感覚にギュウと締めつけられる。役所は、ある意味おれがここ数年ずーっと待っていた存在に、映画の中で一足先に出会ったしまったというわけだ。なにやっても巧くいかないおれのまえに現れたのは…。ああっ女神さまっ(Oh My Goddess!)…。

だがその末路は二本のわだちが示す。やり直せる契機とはなりえない。小泉と、夫の香川照之らの、家族の物語なのだから。だからその瞬間無性に泣ける。そして厄介なのは香川の演技のトゥーマッチさだよな。普段の仕事の鬱屈を晴らすがごとき過剰芝居。役者のエゴ丸だし。ので、前半はエラク鼻につく。お前が巧いのはわかったよ。けど、最高うざいんだよ。後半、高速を臨む横断通路の横移動。足もつれさせながら、例によってゴミ袋や段ボールに突っ込んでゆくいつもの芝居。真情の吐露。おなじ頃海辺でも小泉が、息子らだって、無賃乗車の罪で指紋採られている井之脇海が、時空地理条件あっさり超えて、きっと小柳友も彼の地で漏らしているハズだろう。このままどうしようもなくなるのかな…と。けれど、直後に光が明滅。役所ではないが、宗教的救済。家庭なんてゴミ屑もいいとこ。けれど、有無をいわさずにもうすこし信じてみようとおもわせる力がある。

トウキョウソナタ

(22日、フォーラム4にて)
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