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花よりもなほ
2006 / 06 / 10 ( Sat )
本作は、なんと時代劇。

とはいえ作品それ自体が「いま」という時代性を帯びており、それは是枝の狙いどころであろう。
現代社会の図式に置き換えた江戸の暮らしで、ある種の云いたいことを見事に伝えきっている。

それは、虐げられる者へのあたたかい眼差しとともに、無為な命の遣り取りや「仇討ち」などという憎しみの連鎖への静かだが強い反意。
けっして声高でない。だが、一方で『誰も知らない』同様の残酷な一面も存在する。

例によって、足元を狙うショットや、俯瞰で背中越しを追うショット多数。

hana_yorimo.jpg

***

登場人物らの住まう貧乏長屋の、一日のはじまりである朝から作品もはじまる。

皆ひとクセあり貧しいが愛すべき人たち(長屋の住人以外にもお笑いの連中が本作には大挙して登場。一風かわった人々の表情を並べたいのはわかるが、なんでだろう、なんか薄味だ…)のなかにあって、今どき流行らない「父の仇討」をするためわざわざ江戸に出てきた若侍(岡田准一)、浮く。

そりゃそう、浮くよ。ガンガン浮くよ。

いやな言葉だが、親の金で上京したものの、することせず過ごすなんてなんかニートみたいじゃん。
客であるこっちも、なにもしない、なにもできない主人公や登場人物はみたくもない。
だのに、宮沢りえ!みたいなうつくしい未亡人や、明るく元気な田畑智子!が周りにいるのよ!

80年代小学館系ラブコメみたいじゃないかよ!なんなんだコイツは!
そうおもうと、なんだか退屈な、現状肯定感に満ちた冒頭部にかるい失望を感じた。

***

だが、(まあ結構唐突なんだが)主人公が、わりとアッサリ親の仇(浅野忠信)を発見し、なぜか動揺する。
主人公の動揺のさまに観ているこちら側も動揺した。

その動揺の理由は、なんで仇討なんてしなきゃならないのか、なぜ人を殺めなければならないのか、そんな想いが長屋暮らしで滲み出て、気づけば、それに浸りきってしまっていたから。

同じ長屋のタカリの遊び人(古田新太)は仇の居所をとっくの昔に知っていたという。
けれど、意気地も剣の腕もない主人公には、そんなことは伝えずに居たのだ。驚く主人公。

いつもまにか、仇討ちという目的も、掠れてぼやけていく。
はたして、おれは、なにしてるんだろう…。

***

これは、主人公の生き様としての侍という初期設定を根源的に覆しかねない気づきであり、以後、その原因が掘り下げられつつ、物語りはすすむ。

主人公はいろんな意味で一歩も進めない、前にも後ろにも。皆同じ。

浅忠も荷揚げの肉体労働者でかわいいガキと奥さんがいる。
加瀬亮(かなり格好いい役)も、夏川結衣も、今更過去へなぞ戻れない。
寺島進も足軽という半端者で、討ち入りする赤穂浪士らの隅っこで、どうにも居心地が悪い。
香川照之や木村祐一は…コイツら、そもそもどこへも行くアテがない。

仇討ちという感情だけではない。そのうち、長屋そのものが行き場を失ってしまうのだ!

なんだか、現代社会の投影なんていう、きもちの悪さはあるものの、主人公の若侍の、この一歩も進めないさまにちょっと胸を打たれた。てゆか共感した。わりと持ってかれた。

***

おしまいは希望に満ちた最早ファンタジーとなり、とくに寺島進に関して、是枝的にもエンターテインに徹するという方針が貫かれた処理の仕方になっていた。

ここ数年来あった、山田洋次や北野武の時代劇映画からの引用めいたキャストや物語構造で出来上がっており、そこのあたりは確信犯的なのかもしれない(岡田准一が真田広之そっくりにみえたよ。実際似てる)。

なんにせよ、うまいことノセられた。わるくない。
品のよい、ほっとする、そういう映画。

(フォーラム4にて)
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