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コズモポリス (2012)
2013 / 05 / 25 ( Sat )
きっと『アメリカン・サイコ』みたいな、途方もないイケメン金持ちが、現実感失ったままやりきれない無常を常軌逸した言動で晴らしていく爽快な映画だろうと。んまあ、半分くらいは当っていたものの、劇中にあるとおり先行事例のマンマにはクロネンはさすがに陥らない。投資会社の社長で、すべてを移動するリムジンのなかで済ませてしまうロバート・パティンソン。オフィスや自宅ではなく、徹子の部屋か、安倍夜郎『深夜食堂』ばりに人々がオーナー自慢のLIMOに出入りする。出入りと云うよりスルー・・・右のドアから左のドアへ、通過か。ヤラせてくんないフィアンセやセフレ(ビノシュ!BBAだがこいつはイケる!)、医師や社員が、瞬間瞬間を通過していく。LIMOが街並を通過するように。そこで人民元の急落という読みをはずし、部門担当者とのミーティングがあり、物憂げに世間話やセックスに興じたり、健康診断したり。ときに小便も。大統領の市街地移動や水道管破裂、格差に怒れる市民の破壊行動といった大状況、セックスレスや元の急落や犯行予告といった中規模状況、縦軸でも横軸でもないそれらは後景で、別段、警備主任のスケとやったりロスコの画を欲しがったり警備主任をたまゆらに撃ったりとか、そんなんはなんかどうでもイイ話しなのであった(ただし、オキニのラッパーが自然死と聞いてあきらかにガッカリしているシーンには心底感銘)。問題は、重要なのは、きょう必ず床屋に行かねばならないという事(井上陽水みたいっすね~)。ストーリーといえるものはただそれだけで、これを空虚と云い切ってはつまらないのではないか。というか、『アメリカン・サイコ』やオリバー・ストーンの諸作、『ファイト・クラブ』の頃から更に情況は悪化していることを示している(性的な欲求のみで都市の空虚さや孤独、人生の苛烈さを抽出した『シェイム』、サブプライム問題を地方マフィアのシノギに置換した『ジャッキー・コーガン』のセンともちがう)。先に触れたとおり、主人公は時折云いたいことをポツリポツリつぶやくだけ、そして登場人物たちは、云いたいことを自動人形のように述べるだけ。ジアマッティとの遣り取りだって、ぐずぐずすぎてディスカッションにもならない。それはまるで辻説法のようだし、車窓からの風景は絵画のよう。全体が、まるでパワポで説明されているかような(スライドショー的とも云うべき)一方通行感、ゆえ、おそろしいというか、肯定も否定もないすっからかんすぎて諦念すらも放り投げてる魂に打ち震える。

コズモポリス(2012)

(5月25日、フォーラム2)
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