スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | page top↑
オンリー・ゴッド (2013)
2014 / 02 / 18 ( Tue )
終始、不案内で説明過多な昨今フィクションの段取りを小ばかにしているようなレフン節、そんな清さがある・・が、後述するかもだが北野武の諸作に通じるロウブロウな不案内さなので面倒なことは素通りしてもよい、そこには一貫性がある。ムエタイの地下シーンから開巻、ライアン・ゴズリングとアニキのやってる賭場から展開、その直後不在のまま存在感だけは(劇中のセリフで)ありありと居続けるアニキのオイタ(娼館で14歳くらいのビャッチを所望するもむげに断られ、あげく娼館の娘をピックして惨殺)に端発する事件がころころと転がり、ぎらぎらとネオンと夜の粘り気が横溢しながら、異国の夜を舞台に悪化してくスマホの写真アプリで弄り倒したようなあほみたいな色味・・・ルックで展開するストーリー。けっして難解な内容ではなく、低偏差値(しかし、『ドライヴ』がいかにエンタメだったのかということをまざまざと示すものの、はるかにこっちのほうがアタマわるい感)。おれ、個人的なトラブルをひとり考えながら眺めていたせいか、娼婦のマスタベに呼応する腕ブッタ切りのあたり(タイミングで女果てる件)、なんなんだろう・・・とおもった。その直後、さらに数度繰り返されるマフィア親父のカラオケは、その素朴さと本人の纏う残虐性も相まって、『殺人という行為(アクト・オブ・キリング)』の主人公アンワルをどうしても想起。ゴズリングをけしかける(本作のゴズリングは基本的に棒)母親の存在もあやしい。ゴズより長兄のペニ棒のほうがデカかった、とかまじどうでもいい話しを延々と。異様に研ぎ澄まされた強迫観念が織りなす恐怖と緊張感がまあまあ心地いい。カラオケマフィア親父の裏も表もない実在感だけのキャラクターから、たとえばよそ者が幅利かせてクズ白人が偉そうに地元で好き勝手やってんじゃねーよ・・・っていう、反グローバリゼーション、反TPP的なメッセージ性が嗅ぎ取れないでもない。しかし、クリス・マルティネスの亡羊で覇気のないローテーションミュージックが鳴り響き、ゴズリングの涅槃をアンワルと取り巻きのポリスが後景で描かれると、ああ、このニコラス・ウィンディング・レフンという監督は、写真週刊誌強襲時のチャンタケなみにトコトン死にたがってるだなーと、そう素直におもった。

オンリー・ゴッド(2013)

(15日、ヒューマントラストシネマ渋谷 劇場3にて)
映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<セブン・サイコパス (2012) | ホーム | ハンナ・アーレント (2012)>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://daliandisease.blog47.fc2.com/tb.php/2736-e86327ff
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。