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花とアリス殺人事件 (2015)
2015 / 03 / 08 ( Sun )
こんな問題作、なかなかありゃしない。そういう意味では岩井俊二らしいというか、岩井俊二ってトコトン実作で実験するひと、なのだと再認識させられる。とにかくいま現在の花とアリス(を演じた鈴木杏と蒼井優)を描いてしまっては元も子もない。おそらく、大人になってしまった二人を描くなどという真似は本旨ではなかったのだろう。では、どうするか。二人の出会いまでさかのぼってしまえばいい。しかし現在の鈴木杏と蒼井優では無理だろ?だったら、声だけ頂戴すれば、少女期の、アドレッセンス感は保てるし、ロトスコープなんつ手法をもってすれば実験性とともになんらかの作家としての痕跡ものこせるんじゃね?むしろおれもアニメしたかったし・・・庵野に演出されたり、北村龍平に演出させたりしたけど、おれの根っ子は市川崑だけじゃなくトキワ荘グループ周辺だったりからも大いに影響されてるし・・・などとおもったかはしらないが、おもわずリンクレイターの諸作を見返さねばならないようなきがした(ロトスコ作品のみならず、本作って、イーサン&デルピーのシリーズや『6歳のボク』などとの比較対象にもなりうるのでは)。切り替えしの多用や90度倒れたキャメラポジ、所作のムダぶり(コマの省略はしているものの、基本ぜんぶ線で拾っている)など、とにかく違和感はつよくかんじる。顔の画も一定しないし、過剰すぎる情報量の人間のモーションなぞるより、ムダの少ない3DCGモデルのロトスコのほうがアニメに見合うのでは、などと。そもそも、題材と手法が合っているのかどうか(たとえば、動きを落して描線を細くしてフォルム重視のモーションにすれば、一時期のIGっぽい、沖浦っぽくなるよな~っておもって観てたら、案の定)。手間ひまが異常にかかっているのが見て取れるし、わざわざこういう手法でアニメにする内容なのか・・・などともおもってしまう。岩井作品にある、勘ちがいが連携したまま妙な引っかかりを宿す台詞は、珍妙な所作と共に全編にわたって述べ続けられる。平泉成と(脳内変換してJCの)蒼井優とのダルなやりとりは、きっと実写だったら見ごたえあったろう。だが、こういうヌルヌルでもない、適度にリミテッドな状態のアニメだと、どう受けとめればよいのだろう?そうして本作は問題提起をし続ける。十年経っても、キットカットももちろん登場。作画協力で磯光雄の名が。製作はロックウェルアイズと、石井朋彦のSTEVE N' STEVEN (スティーブンスティーブン)。

花とアリス殺人事件(2015)

(7日、T・ジョイ博多シアター11)
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シェフ 三ツ星フードトラック始めました (2014)
2015 / 03 / 08 ( Sun )
これがジョン・ファヴローの本音(それを見事に昇華)なのかなーと。どーかんがえても『カウボーイ&エイリアン』の製作過程でクソな横槍いれてきた連中や、出来たら出来たで揶揄り倒した連中(含むおれ)らに対して、本気でいまだに怒ってるのが垣間見えてしまう。ある意味ファヴローの自作自演であり、苛立ちとともに納得いかない無理解に満ち満ちた世間への復讐劇だったりする。スジとしては、ビッグバジェットだがお着せの企画で、あらゆる方面から横槍が入る大作映画をなんとかヒーヒー云いながら創って、出来たら出来たで酷評の嵐・・・なんでおれがこんなめに!じゃ、ルーツふり返ってきの効いた小品でカムバック果たすわ・・・的、本作の成立経緯みたいなもんをマンマで描く。ファヴロー演じる主人公は、家庭を省みず仕事に没頭するも、ちょう保守的なオーナー(スポンサー)意向と自身の創造性との間で揺れ動き、クッソフードブロガー(オリヴァー・プラットが憎々しくも好演)に槍玉に挙げられ、あまつSNSで自爆する(元)有名フランス料理シェフ。腑ぬけた邦題にあるとおり、途中で自分さがし的な展開となり、結局はキューバ料理の屋台をはじめてしまう・・・筋立てとしてはまちがってないが、そもそものフレンチ云々はなんだったのか(和食修行してたヤツが人気ラーメン店の店主に収まるようなケース?)。また、息子(エムジェイ・アンソニー君)が父のような料理人になりたいってわりかしデカい大ネタが合流するのだが、一体いつそんな線が張ってあったのか。諸々不具合は散見されるものの、それでも手際よく料理しているシーンは官能的で色彩にもセクシー。わかっていても、後半のバンドツアー的ロードムーヴィー的展開はアツくなる。ツイッターやFBやヴァインなんかのSNSの使われ方も、なんか無理なくて、結論として総じてよかった。ジョン・レグイザモもひさびさ観れて、相変わらずで安心した。

シェフ 三ツ星フードトラック始めました(2014)

(7日、TOHOシネマズ天神ソラリア8)
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ミュータント・タートルズ (2014) ※3D日本語吹替
2015 / 02 / 28 ( Sat )
悪徳が渦巻くNYを舞台に、目立ちたがり屋の亀太郎4匹が、ウィリアム・フィクトナー(出た瞬間悪役だと分かるいつもの風貌)や『ウルヴァリン:SAMURAI』に出てきたような銀色の武者相手に、やちょっとユーモアかんじられないくらい過剰なカンフー忍者アクションを繰り広げる。彩り添えるのはベイ喜び組のミーガン・フォックス。監督は、『テキチェン・ビギニング』『世界侵略:ロサンゼルス決戦』のジョナサン・リーベスマン。画的に、J・J・エイブラムスっぽい横に光輝が伸びるハレーションぎみのレンズが多用されて、あれーっとおもったらルラ・カルヴァーリョってひとだった(ジョゼ・パヂーリャ版『ロボコップ』とか『エリート・スクワッド』のひと)。んまあ・・・なんとも云えない話し。「これが私の亀ちゃんたちだよ!!」って幼女時代のミーガンたんに云われてもなあ・・・。あ、妙なリアリズムを織りこんだ『世界侵略:ロサンゼルス決戦』撮った監督らしく、敵役の手下の連中、ISISのように描かれていた(きがする)。

ミュータント・タートルズ(2014)

(ソラリスやまがたシアター5)
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マップ・トゥ・ザ・スターズ (2014)
2015 / 02 / 15 ( Sun )
ベタで、ひじょうにゲスい内容で、クロネン先生の近作(『コズモポリス』『危険なメソッド』)に比べると比喩がダイレクトで、そもそもキャストがゴージャスかつ「実にらしい」(PPTのくだりとジュリアン・ムーアなど)。そう、大変わかり易い作品。極度に戯画化され、云われなくてもケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン』など想起しつつ、でも出歯亀根性ってやつは、庶民ゆえ消せない、おもしろがれるおれがいる。「火で結ばれた二人」、 ジュリアン・ムーアとミア・ワシコウスカ。強烈な二人だが別段演技合戦とか、そういうくだらない次元で存在していない。「傷を負った神経症に、この街は妙だろ」・・・そううそぶくロバート・パティンソンは、格好つけてた『コズモポリス』とは異なり、LIMOじゃないけど運転手役。ムーア以上に奇怪なのは(ある程度の年齢の女性の、ムーアのような悩みは別段異様とはおもえない)、ジョン・キューザックのおとーさん、オリヴィア・ウィリアムズのおかーさん、そしてそして、エヴァン・バードのクソガキのこの家族であろう(この三人を大きく凌駕する長女ミアたんは、当然ながら別格の位置)。家族崩壊を画策するミアたん、まんまと指輪をせしめ、崩壊と共に自らの星々を築く(本当に星になる)。でも、描かれ方に距離があるためこういう一家はハリウッドじゃふつうですよ?的にしか伝わらない。霊的存在、みたいなきどったふうではなく、ダイレクトな強迫観念として病院で見舞ってしんだ少女、溺れ死んだ少年、そして焼死した母親が何度も何度も登場。くりかえし、くりかえし。あー、クローネンバーグは本当に銃の描き方がウマいとおもいました。

マップ・トゥ・ザ・スターズ(2014)

(フォーラム山形シアター2)
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寄生獣 (2014)
2015 / 02 / 11 ( Wed )
こう云うとどんだけ上からでエラいんだか、って話しなのだが、山崎貴よくやりましたがんばりましたっていう感想。だって、ずっと、マス対コアでどうかんがえたってマス側の、退屈極まりないブツしか撮ってきてなかったんだから。原作漫画は喜んで当時読んでたけど、いま読むとどうなのか、それはわからないけれど、この作品は漫画原作映画としては上等なマトモなほうに位置している。人体の変容ぶりがもたらす原作まんまのグロテスクさや即物的な殺戮も見所なんだから!逃げずにやってやるよ!っていう作り手の嬉々としたかんじが伝わる(この描写でPG12というのは大健闘。レイティング対策なのか編集が醸す妙味も)。一緒行った彼女はやや具合わるくなって、続編観たくないって云ってたが、それって本作においては相当なホメ言葉なのでは?役者も相変わらずの安定感と存在感を滲ませる染谷将太や、てめえの棒な具合を巧いこと織りこんだ薄気味のわるい東出昌大。あと特筆しておきたい橋本愛の・・・じつに"らしい"芝居にひさびさ魂持ってかれた。どこにでもいそうなふつうのJK役なんだけど・・・なんかいいね。ただし、問題はやはり情に棹差す、有り体に云えばお涙がそんなに欲しいのか、っていう裏に横たわるスジのほう。新一君とミギーの前に立ちはだかる、深津絵里と余貴美子っていう二人の母親の姿、来し方行く末を描かないとただの切株切断博覧会になるのは重々承知。でもあまりにもウェットすぎやしないか?前後編で描かないといけない故ファストなのは理解。でもな~泣かせようとすると一気に花白む。とりあえず続編も観ます・・・。

寄生獣(2014)

(11日、ムービーオンやまがたシアター10)
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6才のボクが、大人になるまで。 (2014)
2015 / 02 / 09 ( Mon )
イーサン&デルピーのシリーズや、ジャック・ブラックが先生になる映画しかおれ観てないし知らないが(DVDはほか持ってるけど、観てないしなー)、ある意味時間とダイアログの魔術師・リチャード・リンクレイターによる本作は、んまー原題の"BOYHOOD"でもなんでも結構なんだけど、邦題まんま、一家とその長男にフォーカスして、12年ていう・・・ちょっとやそっとのネタ感では押さえ切れないスパン・時間経過を、確信もって延々切り取る。おかーさん(パトリシア・アークエット)も、おとーさん(イーサン・ホーク)も、若々しかったのに、やはりおばさん、おじさんに。

DBZ→iMac→ゲームボーイ→たまごっち→Xbox→ハリポタ→Wii→トワイライト→レディー・ガガ・・・関心はうつろう。

子どもは、たしかにか弱いかもしれないが、少しずつ確実に前に進んでいく。関心事も刻一刻かわっていく。一方の大人はと云えば、成長止まってるクセしてコロコロと態度やら何やらが変わる。ふしぎですね・・・(そして、最後つじつまが合う。加齢でもって)。そして、作劇的に一見ずーーーーっと変わらない人物かのようにおもえたイーサンおとーさんも、びっくりする変容をみせる。主人公同様、子どもじゃいられず、大人になる。子どもたちは成長・・・というより、劇中ではシーン経るたび自然にモーフィングしているような具合で、たとえば『ニンフォマニアック』で、勢いよく脱ぎまくってた若い女が、いきなりシャルロットになってびびる、萎える、なんていうことは・・・ない。あまりにその変化が自然すぎて、あの空を眺めるのがだいすきだった、ドラゴンボールも昆虫もだいすきだった男の子が、ファッションも音楽の趣味もガンガンかわって、ハッパすって悪いクッキー喰って授業サボったり女コマしたりいっぱしの男に、なるんだなー、という素朴かつけっこうすごい驚きが、じつは観おえてからジワジワ来るかんじ。卒業お祝いのホームパーティのシーン、しみじみしてしまう。おとーさん、おかーさんもしみじみ、歳をとった。ほんと、パトリシア・アークエットではないが、ビックリするほどあっけない。そう、一方では(元)夫婦の物語でもあろう。「驚いた」、「驚いた」ばかりではないのだろうけど、しんみり、じわっと感動するより、おれには正直驚きの物語だったのです。なお、いちばん驚いたのはカタコト喋ってた配管工のおにーちゃんが、大志抱いて一念発起して、家族にランチおごるほど立派な青年になってたとこ・・・。

6才のボクが、大人になるまで。(2014)

(7日、フォーラム山形シアター3)
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メビウス (2013)
2015 / 02 / 07 ( Sat )
どっちか云ったらBDのほうか麻宮騎亜のほうがなじみ深いんだけどなーとおもいつつ、お約束のようにお布施払いに、確認作業にならざるを得ないキム・ギドク先輩の公開作・・・なので行きましたよ。まず、ダンナのチンポをカットオフできなかったから息子のをカットするってスジ実際どうなん?・・・んまあ、咄嗟に口に含んでしまったのはわからんでもない(彼の地の料理でありそうじゃん。他意はない)。あとはまあ、露悪開陳・・・わりかし執拗に挿入されるネットサーフのさまで観客側に外語レファレンスを強いているものの、本作、翻訳字幕が要らないから輸入上の制作上映コストって安価なままでいいよねえ?なんてことかんがえちゃったり、いっそ松本人志に頭下げて名前借りて邦題『しんぼる』ってすればよかったんじゃ?とかかんがえてた。次第に高度すぎる代替セックス、アップデートしすぎな性感追及をし始め(あのナイフぐりぐり、ナニカに似てるなーって延々かんがえてたが、SEGAの体感アーケードゲーム・・・二百円払って握るあのジョイスティックの粗暴さマンマだった)、同時に男性陣が皆男性性を失ってくという波乱含みの展開に。お袋に反応するペニスでようやく屹立する激保守なオチを見守りながら、結果として「おらほのヨメが一番」的ムービー・・・たとえば『アイズ・ワイド・シャット』や『ホーホケキョ となりの山田くん』、『シュレック フォーエバー』みたいな内容だということ(ギドクが妻帯者で愛妻家かどうかはともかく)。察するにかなりどうでもイイ、ワンアイディアがすぎる内容を90分まで希釈した事実には感心するが、祈りの捧げ方云々より『嘆きのピエタ』にあった野太い脱糞じみた一筆書きの鮮烈さが欠如している。あ、観てておもったのは、チャミスル呑みてえなあ、くらいのものでした。

メビウス(2013)

(フォーラム山形シアター3)
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